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日本で唯一戦闘機の紫電改が愛媛県のこんな所に!5歳娘に伝えたい戦争の事。プロペラが曲がっている意味。

愛媛県愛南町にある紫電改展示館に5歳娘と行ってきました。

私も、35年ぐらいぶり?小学生の時に行ったな〜位の記憶でした。

この紫電改展示館は、山の上にあり、他にこども動物園や宇和海展望タワーがあり、小さな時は、心躍ったもんでした!

その頃は、飛行機があったな〜程度の記憶しかなかったのですが、帰省した際に行ってみることに。

改めて見てみると、 歴史の重みを感じます。小さな時には見えなかったことが、見えてきました。若いまっすぐな人達の命が戦争によって奪われたこと。

娘に伝えたい事なんておこがましい事を書いたけれど、40歳を過ぎて、ようやく私が、少しだけ直視できるようになりました。

このプロペラが曲がっているのは、最後の最後まで生きようとした証なのだ。 

紫電改の歴史

 紫電改(紫電21型)U.SコードネームGeorge

太平洋戦争末期において本土防衛のため、宿命を背負って作られた『紫電改』は、優秀であったが故に一層過酷な任務を与えられ、かけがえのない多くの青春と運命をともにした。昭和16年12月8日ハワイ真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争も、昭和17年6月のミッドウェー海戦を境に敗戦の一路たどり、昭和20年初期には日本の国土も連日連夜、B29の爆撃にさらされるようになった。真珠湾攻撃の時、参謀であった海軍大佐源田実司令が、当時の海軍で優秀な戦闘機乗りを松山基地集めて編成したのが、音に名高い343空剣部隊だ。

旧海軍第343航空隊に所属し、終戦間際の昭和20年7月24日、豊後水道上空で米軍機交戦したうちの一機と言われている。

その日、土佐沖に進攻してきた敵機動部隊艦載機、戦爆連合約200機が、呉・広島方面攻撃に来週する。これを迎撃するために大村基地から21機の紫電改が発進。宇和海上空で3倍の敵機と交戦し、わずか10分足らずで16機を撃墜した。しかし、この交戦で6機が、未帰還となり、その一機がこの紫電改と言われている。

この機体の発見は昭和53年11月18日、愛南町久良湾で養殖イカダのアンカーを探していたダイバーが発見。翌年7月14日、34年ぶりに地上に引き揚げられた。機体はフジツボに覆われ、破損箇所が随所に見受けられたものの原型は留めており、水中墜落でプロペラが4枚とも内側に90度に曲がっていることから、高度な操縦技術を持ったパイロットにより、海面上に不時着したと考えられている。

未帰還6機の中の1機だとされているが、誰が操縦されたのかまでは分からず、未帰還の6機を操縦した方全員の写真と一緒に展示されている。

プロペラも元のように直すことも出来たが、その6人の遺族の方の意向で、90度に曲がったまま残すことになる。

 

現在、紫電改は世界に4機、日本では唯一この愛媛県愛南町にに存在する。

 

アクセス&営業時間

紫電改展示館
〒798-4110 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城689−1 馬瀬山頂公園内

利用料等
※紫電改展示館の入館は無料です。

開館時間
9:00~17:00 (休館期間 12月29日~1月1日)

 

紫電改展示館は無料で入れるんですよ!

隣接するこども動物園も無料です。

何故、この山の上に展示されたの?

紫電改展示会の外からは、久良湾が一望できます。

その海の方向に紫電改は不時着しており、

終焉の地へ機首を向けて永久保存することとなったそうです。

最初は、南レク馬瀬山公園に紫電改を持ってきて、一部補修・防錆塗装が施され、その後に紫電改を覆うように建物が作られたそうです。 

紫電改は誰が引き揚げ、誰が修復したの?

県から委託を受けた藤田海事工業(株)と地元漁業関係者等の協力により引き揚げられ、紫電改を製作した新明和工業(株)(旧川西航空)により約1ヶ月をかけて修復されました。

何だかその当時の様子だけでも、映画化されても良さそうな話に聞こえました。

海から引き揚げられた時の様子は?

これが、海から引き揚げられた様子です。

本当に、そのままの姿で海の底に沈んでいた事が伺えます。

しかし、その機体には、遺体も遺品も何も残っていなかったようで、今となっては誰が乗っていて、どうなったかは分からないそうです。

展示館の中はどうなっているの?

展示館の中は、吹き抜けの2階建てになっていて、2階からも紫電改を眺められるようになっています。

当時の343航空隊 松山基地を再現したジオラマもあります。

未帰還6機のうちの1機がこの展示されている紫電改ということまでは突き止めていて、その6人の写真と遺族の方のお話が展示されています。

この6人は全員四国外の出身で、20歳、21歳、22歳、25歳、29歳の若さでした。戦争で尊い命が奪われた事を思うと、目頭が熱くなりました。

紫電改展示館で何が売られている、お土産は?

折り紙が一枚10円で売られていました。

この時は、時間がなく折ることが出来ませんでした。今思うと娘と一緒に作って、手向ければ良かったなと思います。

今度行くときは、もう少し、娘も理解出来ることが増えるから、一緒に折り鶴を折りたいと思います。

他にも、沢山のグッズが売られています。

娘は、あまり興味を示しませんでしたが、男の子には興味深いグッズだと思います。

缶バッジも大量に発売されていました(笑)

乾パンも売られていて、今では災害の時に食べる物の認識が高いですよね。

紫電改せんべいは限定品ですね〜。

横須賀海軍カレーも売られていて、一瞬よこすか?って思っちゃいました。

四国では、逆にレアだなって(笑)

かなりな量のグッズが売られている事にもびっくりしました。

結構面白いですよ。

大日本帝国の旗や、ハチマキや扇子まであります。

手ぬぐいやトートバッグもあります。

トートバッグなんかは、可愛いです。

Tシャツの絵柄もかなり豊富でしたよ。

しかも、結構かっこいいデザインです。

私イチオシは、紫電改のプラモデルです。

株式会社アオシマ文化教材社が作ったメイド・イン・ジャパンです。

マニアックで、レアですよね。

感想まとめ

戦争は私も知らない。見て聞いて、感じることしかできない。

だけど、正直、修学旅行なんかで原爆資料館なんかも、見ることも嫌でした。

私は感じやすい性質なのか、広島にはじめて行った時は、駅に降り立った時から、凄く嫌なニオイ(髪の毛が焼けたようなニオイ)がして、友達に原爆ドームに連れて行ってもらったんだけど、到着する頃には、耐えられなくなってしまった事がありました。その後も何度か広島を訪れたのですが、後にも先にもそんな現象に見舞われたのは、その時だけでしたが、毎年来る終戦記念日も、広島と長崎に原爆投下された日、終戦記念日のニュースを見ることも心が重くなり、その日の事を思い出したりします。

時はたち、自分にも子供を授かる事ができ、40歳を過ぎてようやく私は、尊い命の上に成り立つ現代のありがたさを、ほんの少しだけ、感じられるようになった感じがします。今まで、避けていた事を少しだけ直視出来た気がしました。

なので、5歳娘には、まだ、なんにも伝えられていませんね。

でも、ここに来られて一緒に見られてよかったな。

娘には、私が真剣に眺めていたことが、目に写っていただけかもしれないけどね。

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